ここのページではPart1からPart3で書ききれなかった
(本当にこぼれてしまった)話を思い出しながら書き綴っていきます。
あまり整理せずににガガああぁーっと書いてますので(笑)適当に流して読んでください!!


1.サルデーニャのお値段 →;゜o゚)ザク!
(お金のことは内緒の予定でしたが、何人かの人が聞きたいというメッセージくれたのでちょっとお話します。)

サルデーニャはヨーロッパほど日本で知名度がないかもしれません。
ヨーロッパでは最高級保養地、リゾートとして有名です。
亡くなる前はダイアナ妃もよくサルデーニャの北を訪れていたようで
有名人であり溢れてます!!
私が最初にびっくりしたのがお値段。「お」がつくほど高いです・・・これが!
結論から書いてしまうと、大人4人、ホテル代(ビレッジ式)と朝食+夕食で
7000ユーロ (゚ロ゚) (約2週間の滞在)

これに現地でのレジャー、オプション、昼食そして交通費を入れると軽く
100万円は超えます・・・
でも、大人4人が2週間滞在する費用としては破格の値段ではないかもしれませんが、
(むしろ日本のホテルも今はこんな値段ですね・・・)
イタリア人の平均所得からすると相当高いと思います。それでも私達が滞在した
ホテルは本物のホテルと違って、アパート形式だったのでまだ値段が低くて
すんだのかもしれません。友人が北で(北は南よりかなり高いです・・・)普通の
ホテルに泊まったそうですが1週間で大人一人5000ユーロ(滞在費のみ)払ったとか!!!
実際北のホテルをちょっと見てきましたけど、1泊75万の部屋だとか、25万円の部屋だとか
当たり前にあるそうです・・・恐い(◎_◎)まあ、プライベートのクルーザーで
埋め尽くされてる島ですから可能なことなんだと思います。

ただ、良心的な値段のホテルも沢山あるようですし、お店やBAR,レストランは
イタリア本土と変わらない普通の値段でした。
有名人のような派手なバカンスをおくろうと思うと相当お金がかかる
「高級リゾート地」なんだと思います。


2,最初の2日間のつぶやき (。-_-。)|||||

Part1で書いた通り、最初の2日間はサルデーニャの北に滞在でした。
なんせ、行くまで知らなかった私。しかも、仕事友達の別荘に泊まるなんて本当に驚きました。
なんでも、サルデーニャ全土、ホテルが満室で予約が取れなかったよう・・・でも船の予約は
2週間滞在したホテルに泊まれる2日前しかなかったようで、もうぐちゃぐちゃ。
人気のサルデーニャですから・・・1年前から予約が始まってるとかで、彼のマンマ行動開始するの遅すぎた!
ホテルがないっていうのに、強行にサルデーニャに行っちゃうのがまたすごい。(しかも私に知らせてくれないし!)
マンマパワーには勝てません。

そのお友達達はもう「やさしい」、「親切」っていう汁が滲み出ているほど
いい人達だったのですが、私は機嫌ナナメ・・・っていうのも、私のイタリア語。会話が通じない・・・
1文章、2文章・・・・続いて3文章ぐらい・・・はあーのため息でした。相当落ち込みました。
多分いつもよりショックだったのは、国際結婚した彼の仕事友達の奥さんがいたからだと思います。
彼女、ロシア人で金髪でセクシーで美人。そしてとにかく、イタリア語完璧!!!!!!!私の彼氏も
100%イタリア人のイタリア語だって感激してました。まあ、イタリアの大学卒業して在イタリア6年なので
まだ数ヶ月しか滞在してない自分と比べても仕方ないんですが・・・もうショック!
ショックでも一所懸命にイタリア語聞いていたんですが、とにかく早く喋るイタリア人。それが夜中の1,2時まで
続いたらもうイライラも限界。その様子に気づいてくれた彼氏は相当私のこと心配してくれましたけど
とにかく疲れた夜でした・・・

でも次の日はそんな不安を吹き飛ばすかのように、最高の日でした。
その友人が所有する船でクルーズ。小さい離島や沈没した船などを観光して、もう興奮しまくり。
とにかくこういう世界があるんだ・・・と、世界はやっぱし広いなーと自分の悩みなんて小さいな!って開き直りました・・もう!
私もロシア人の奥さんのようになるまで、頑張るしかありません・・努力です!


3、ホテル発見まで

北のサルデーニャから南まで高速道路使うと約3,4時間。ふっとばして、南のホテルまでやってきました。
ビックリするのが北と南の違い。北は外国人も多く高級感で溢れてますが南は良く言えば大自然の広がる
場所で悪く言えば、何にもない!!夜は外灯も何もないので真っ暗・・・東京じゃ想像できないほど暗い。
道は大体整理されてますが、ちょっと山奥に入ると真っ白い砂道、砂利道になってしまって
運転が大変でした・・・時速20キロでも砂煙が!ホテル探しても海、山、海、山で・・・

道はないし、やっと発見した街は恐いことに崩壊しかかってたんです!!人がいなくて、家、ビルが
壊れて、割れて、シーーーーン・・・・・・そんな町を2つも見てしまって、本気で帰りたくなりました・・・
(後から鉱山閉鎖のために、町から人がいなくなった鉱山町だったことが判明。悲しい歴史です・・・)
ようやく、長い海が続く場所に出てきて、沢山の人がいるのを発見!民家もバラバラですが
いちよう見えます。これで安心ーと思ってるとなんだかカラフルな家の塊が。

マンマが一言!!!
「あらーちょっとアフリカの家が連なってるみたい。なんだかこの海の景色にあってなくて変だわ」彼氏「アフリカは言いすぎだけど
なんかぐちゃぐちゃ汚い・・・なんなんだろうね、この建物は・・・」パパ「これがうちらのホテルじゃなくてよかったよ。
俺がこんなところに閉じ込められたら大変だ。死んじゃうよ!」「ははははああー」みんな言いたい放題。

で、車はその家の塊を通過して、どんどん山奥に入っていきますが、あまりにもおかしい・・・カーナビはこの辺って言ってるのに
遠すぎる。キャンピングカーで現地に詳しそうな兄ちゃんたちにうちらのホテルを聞くと、「ああ、あれならすぐそこだよ。あの
色カラフルな家が固まってるのがホテルだよ。」・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・私達、一同、絶句。ぱぱさん、
閉じ込められるたね・・・・死んじゃうね・・会話もなしに、トロトロそのホテルに戻る私達の車。私一人が笑ってました・・・

    

でも、2週間滞在して、外見はちょっと変でしたけど、最高に楽しかったです。サルデーニャでは(南ということもあって)
値段が高くないほうなのに、サービスもよかったし、夕食の質もよかったです。
テニスコート、バスケット、バレーコート、卓球場、サッカー場、野外バー、プール、スタジオ、舞台、などなど
ホテルの周りは何にも無い常態でしたが、ホテル内だけでも楽しめるようになってました。
そのほかに、目の前に広がるビーチはホテル客専用のプライベートで、無料でカヌー貸し出ししてましたし、
無料でスキューバ体験やテニス教室、エアロビ教室など行事てんこ盛りのホテルビレッジですごかったです。

私と歳が近いイタリア人のお姉ちゃん、お兄ちゃんが10名ほど、エンターテイメントクルーって感じで
毎日を盛り上げてくれるんですね!毎日の行事を計画してトーナメントやったり試合やったり、クイズ大会やったり、
あとは毎晩舞台で爆笑劇やってみんなで楽しんだり、仮説ディスコ作って踊りまくったり、イタリア語は
難しかったけど楽しかったです。閉じ込められたパパも数日後は楽しんでいたみたいです!!

    

これがホテルの写真。1つ1つの部屋に広いベランダがあって、ご飯が食べれるようになってます。
ビレッジ、アパート式なのでキッチンがあり、自炊できます。(そうするともっと安くてすむ)
部屋の中は写真のカーテン生地、模様で統一されていて素敵でした。アパート式だけどいちよう毎日掃除が入ります。
(右の写真のふざけたカッコしてる人は無視してください(笑)・・・夕食前に彼とふざけて撮った写真ですので・・)



追伸・2003年9月3日、日本人家族3人がサルデーニャ島の南で、車に追突されて亡くなる事件がありました。
私もすぐその側に滞在していたので人事ではありません。夜、暗くて車が3人の親子をよく見れなかった
ようです・・・本当にサルデーニャの南は真っ暗なので問題だと思います。この事件をきっかけに
少しでも外灯が立てばいいのですが・・・悲しい事件です。心からご冥福をお祈り致します。



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